テディ
僕達テディベアは、名前をつけてもらい首にリボンをつけてもらった日が誕生日になる。
僕の誕生日は十二月二十三日、僕の持ち主であるアンネちゃんと一緒だ。
僕の首にはアンネちゃんの好きな緑色のリボンをかけてもらった。
それは沢山の称号よりも誇らしく思えたんだ。
アンネちゃんは僕を片時も離さなかった。
僕といると怖い夢を見なくなると言って、僕をどこへ行くにも連れて行った。
僕はその度にとても幸せを感じるのだ。
だけど…
それは本当に偶然だった。
大雨が降った夜、お出かけの帰りに人に押されたアンネちゃんは僕を黒くて冷たい水の中へ落としてしまった。
そこは、もちろん深くなんて無いけれど、僕を汚すのには十分だった。
馬車に踏まれ、人に踏まれ、僕は気を失った。
目が覚めるとそこは広い広い場所だった。
目の前には黒い固まりと、所々に、ボロボロの電子レンジやテレビなどがあった。
僕は白い冷蔵庫の上に座っていた。
ゴミ捨て場だ、と僕は思った。
ふと気付くと僕の右手が無くなっていた。
焦って周りを見回すと僕の横に落ちていた。
僕はゴミの海の上で途方にくれた。これからどうすればいいのだろう。アンネちゃんはどうしているだろうか、一刻も早くアンネちゃんの所に戻らなければ。
僕は自分の取れた右腕を抱きしめた。
物音がして振り返ると、左耳が千切れ、右目が無い、ボロボロの赤いリボンをしたウサギがこちらを見ていた。
ウサギは少し僕を見つめると、きびすを返して歩き始めた。
僕も慌てて後を追った。
ここにいつまでもいるわけにはいかない。何とかしてここを出るんだ。
ウサギはずんずんと前を歩く。僕は追いつくのに必死だった。
黒い固まりの中に家電が所々ある場所を過ぎ、あたりはだんだん綺麗になってきた。
捨ててあるものが黒い固まりから白い固まりになった真ん中に、一軒のボロボロの掘っ立て小屋があった。
ゴミ捨て場にあるには少し異様なその小屋に、ウサギは入っていった。その小屋にドアは無く、一枚のすだれがかかっているだけだった。
僕は恐る恐る中を覗き込んだ。
中は予想通りに殺風景で、布団が一式並んでいた。
しかしウサギの姿が無かった。
ふと奥から声がしたので行ってみると、壁に出来ていた大穴の中に人形が沢山並んでいた。
そしてその中心にいた一人の人間にウサギは話しているようだった。
普通人間というものは僕達のような人形と話はできない。
人間と僕達は違う存在だからだ。
外国語よりも複雑な、そして人間に聴き取りづらい高音で話しているために僕達の言葉は人間には伝わらない。
その人は一見にはわかりにくいが、女の人だった。
薄汚れた緑の着流しを右肩だけ出してきていて、胸にはさらしを巻いていた。
そして、ボサボサの髪の毛は、僕が今まで見たことの無い闇の色をしていた。
女の人は僕に目を向けた。
「そんなとこに突っ立ってないで、入って来いよ。」
話しかけられて不思議な感じがしたけど、この女の人の感じは今までの人間とは違う感じがした。
「俺はちょっと特殊でな。人形と話すことができる。」
僕は黙って女の人を見つめていた。
「お前さんがどうしてここにいるか、話してもらってもいいか?」
そう言ったので、僕は今までの事を話した。
そして僕がアンネちゃんの元へ帰りたいということも伝えた。
すると女の人はため息をつきながら言った。
「きっとそのアンネってお嬢さんはお前のことなんて待ってねぇ。新しいやつと一緒に幸せそうに笑っているさ。」
もしもそうだとしても僕は信じたかった。
何よりもアンネちゃんが僕の主人だということはゆるぎない事実なのだから。
「こいつ腕を失くしてます。」
ふと横にいたウサギが口を出した。
「外に出るなら右腕が無いのはつらいでしょうぜ。」
ウサギが言うと女の人は頷いた。
「その腕をつけよう。話はそれからだ。」
手を直す準備をする間、僕はこの小屋を見て回ろうと思った。
その時ふと、僕の首に巻かれていた緑色のリボンが無くなっていた事に気付いた。
だけど僕のいた所にはもうリボンらしきものは無かったので、失くしてしまったのだ、と思った。
急にウサギに巻かれている、薄汚れた赤いリボンが羨ましく思えた。
僕は大穴の中にいる人形達を見た。
そのほとんどが話せないものたちで、ガラス玉の眼の中は空になっているように見えた。
ウサギのように体のパーツが無いものがほとんどで、リボンをつけたものは少なかった。
「今を生きることをあきらめた奴はこうなるって事さ。」
いつの間にか後ろにいたウサギが言った。
「こいつらはいわば抜け殻さ。名前を捨てたくっても捨てられない、自分の名前に未練があるからだ。この世に未練を残した奴は、こういう風に抜け殻になっちまうんだ。」
ウサギは僕に、人形の世界の事を話してくれた。
この世界を生き抜くこと、人形にとっての死。
ウサギも人間に捨てられ、ゴミ捨て場でさまよっていた所をあの女の人に救われたらしい。
「それ以来時間を見つけてはゴミ捨て場に行って、捨てられた人形を拾ってくるのさ。あの人の腕で直せない人形はないからな。」
でも大抵がもうこの時代を生きるのを諦めたやつらばかりらしい。
ふと横を見ると、部屋を掃除している薄汚れたキツネがいた。
それも人形だった。
あの子は?とウサギに聞くと、
「あいつも俺達と同じさ。ただあいつは疵付きすぎて心を閉ざしちまった。あの人に救われたからまだ生きていられるが、もう話せねぇ。」
ウサギが話している間も黙々と掃除をしているキツネを見ながら、僕はまた質問をした。
どうしたら僕達は終わりを迎えるの?と。
「この世に生きる全てに等しく名前がある。それを主人に付けてもらうことで俺達は主人を認識するんだ。リボンはいわば俺達と主人を結ぶ契約書なんだ。主人の願いがこもった名前とリボンを捨てること、それが俺達の終わりだ。そして未練を失くした時、俺達の魂は浄化され次の世界へいけるんだ。」
また新しいリボンをアンネちゃんに結んでもらわなくては、と僕は考えた。
次の世界なんて興味ない。僕の主人はアンネちゃんだけだ。
どうして耳と眼がないの?と僕がウサギに聞くと、
「両方とも猫が持って行っちまった。お前はラッキーだぜ?全てのパーツがそろってここへ付くなんて、めったにないことだからな。」
他のもの達のパーツを代用してはいけないの?と聞くと、
「できないこともないが…パーツっていうのは持ち主の魂みてぇなものだから。俺はそいつをもらうわけにはいかねぇ。見ず知らずのやつのってこともあるんだろうが、そいつの分まで生きるって約束は、俺には重すぎるんでな。」と答えた。
手がすっかり元通りになった僕は、その晩はここでお世話になることになった。
夜、なかなか寝付けなかった僕を女の人が呼んだ。
「眠れないんだろ?ちょっと俺の話を聞かねぇか?」
僕は頷き、女の人の隣へ座った。
「俺は昔人形を作る仕事をしていてな。今流行の大量生産の人形じゃねぇぞ?お前さんのような一つ一つ手作りの、魂のこもった人形だ。」
大量生産の人形には、めったなことが無ければ命は宿らないらしい。
たまに思いが強すぎて、命を持ってしまうやつも出てきてしまうらしいが。
「人形と話ができるようになったのはその頃からだ。俺は自分の仕事には誇りを持っていた。命を作り出していく喜び、そしてそれを大事に嬉しそうに持っていく子供の笑顔、親の幸せそうな顔、俺はそれを見ているだけで幸せだったんだ。」
女の人は、とても幸せそうに話した。
僕はその話を聞いて、アンネちゃんと初めて逢った時のことを思い出した。
「しかし、世の中にそれだけでは認めてくれねぇ。世の中は俺に大量生産の人形作りを強いろうとした。そうしなければ俺にもう人形は作らせない、と。俺はその時にこの世にがっかりしたのさ。それから俺はこの世の中を捨てた。話し方がいちいち男くさいのはそのせいだ、この世の中女ってのはどうも生きにくい。エゴだって言われてもかまわねぇ、このゴミの海の中から捨てられた命を助け出したいんだ。俺は目の前の捨てられた命くらい救ってやりたいのさ。ほっとけねぇんだ。お前さんみてぇな人生を捨てきれねぇ奴を。」
僕は女の人の話を不思議な気持ちで聞いていた。
人間の苦悩は人間にしかわからない。
でも女の人の心が痛んでいるということはわかった。
女の人の側に寄って体を寄せると、
「慰めるつもりが、励まされちまったな。」
女の人は照れて笑った。
次の日の朝、女の人は言った。
「どうしても出て行くというなら止めはしないが…ここで安全な暮らしをしても良いんじゃねぇのか?」
僕は首を振った。
たとえ悲しい結果が待っていたとしても、僕は行きたい。
だって僕はテディベアだから。
誰かに愛されて、必要とされて幸せになるのだから。
少しでも、ほんの少しでも希望があるのなら、僕はそれを糧に進みたい。
僕がそう言うと、女の人は微笑した。
「もしも悲しい結果でも、またここに戻ってくればいい。俺はここでずっと待ってるよ。」
街までの道のりにウサギが付いてきてくれることになった。
経験豊富なウサギが来てくれることは、とても心強かった。
ウサギは昔、街を歩いて回る道化師が主人だったそうで、街並みを言うだけで道案内してくれた。
僕の街までそう遠くはないそうだ。
道中、ウサギとあの女の人について話した。
「俺は長いことあの人と一緒にいるが、俺が傷付いた奴らを連れてくる度にあの人は平等に優しく接してくれる。あの人は人形が心から好きなんだ。俺に、ありったけの普通をくれる。」
僕はあの女の人が治してくれた腕を見た。
とても丁寧な縫い目に、暖かさを感じた。
「お前はまだ生きてる。お前を忘れっちまったかもしれねぇ奴の所へ行くよりも、あの人の所にいた方がよっぽど幸せだと俺は思うがね。」
ウサギの言葉は、不思議と僕を安心させた。
でも、僕の主人はアンネちゃん以外にはいないのだ、僕が今ここに生きているというのはアンネちゃんという存在があるからなんだ、と僕が言うと、
「そうかい。」
と言って笑った。
「そんなに思われて、アンネって奴は幸せだな。」
見知った町並みを抜け、とうとうアンネちゃんの家の前までたどり着いた。
僕がドアの階段下に横たわると、ドアがカチャリと開いた。
出てきた女の人はアンネちゃんのようだった。
でも僕が知っているアンネちゃんではなかった。
僕の思い出よりも背が高くなり、髪も伸びていた。
アンネちゃんは僕を見て少し驚いた顔をした。
横からおばあさんが覗いた。
「あら、あそこに落ちているクマのお人形、貴女が昔持っていた人形によく似てるわね。」
そのおばあさんがそう言うと、アンネちゃんは首を横に振った。
「違うわ、ママ。だって私のテディには首に緑のリボンが巻いてあるんですもの。」
僕は自分の首にリボンが付いていなかったことを思い出した。
アンネちゃん、僕だよ。
そう思っても、決してアンネちゃんには伝わらない。
「きっと近所の子が遊んでて置いて行っちゃったのよ。」
アンネちゃんはそう言って僕の横を通り過ぎて行った。
僕はショックで起き上がることができなかった。
「…おい、大丈夫か?」
側で見ていたウサギが駆け寄ってきた。
「…人間なんてこんなもんさ。」
そう言って僕を起こしてくれた。
「諦めてあの人の所に戻ろう。あの人は裏切らねぇ。」
ウサギの言葉は、僕の胸に温かく染み込んできた。
でも僕は、まだ諦めるわけにはいかなかった。
もう一度、もう一度だけアンネちゃんの所に…。
行こうとする僕の腕をウサギがつかんだ。
「人間にはリボンが必要なんだ!リボンがねぇお前のことはあの人間にはわかんねぇ!諦めろ、奇跡が起こったとしても今じゃない。あの人間にはお前が判らないんだ!」
それでも…アンネちゃんは「私のテディ」と言ってくれた。
僕を忘れないでいてくれた。僕はその言葉を信じたいんだよ。
そう言った僕に、ウサギは呆れたように手を離した。
僕はアンネちゃんを追いかけた。
角を曲がると、アンネちゃんが見えた。
そして、アンネちゃんの横から一台の車が変な動きをしながら向かってくるのが見えた。
車は真っ直ぐにアンネちゃんに向かってきている。
僕は無意識のうちにアンネちゃんの体を力一杯押していた。
「…私の…テディ…?」
鈍い音と、機械の壊れる音が辺りに響いた。
そしてしばらくしてざわめきが周りを包んだ。
僕の体は体ではなくなっていた。
綿も腕も足も、あちこちに散らばってしまった。
かろうじて右目は壊れずにすんだらしい。
それでも人間達は、人間を助けることに必死だから僕に気が付かない。
辺りがやっと静まった頃、ウサギが話しかけた。
「お前…バカだな。」
右目だけで見る世界は酷く狭くて、僕を見下ろしているウサギとその後ろの晴れわたった空が、不気味なほどにとても綺麗だった。
「アンネちゃんは…無事?」
僕がそう言うと、ウサギは笑った。
「お前のお陰で大きい怪我はないみたいだ。ちゃんと自分で歩いていたよ。」
僕はほっとした。
ねぇ、さっき聞いた…?か細い僕の言葉にウサギは反応してくれる。
「何をだ?」
アンネちゃんはね…僕に…気付いてくれたんだ。
僕を見て…私のテディって言ってくれたんだ…。
「…テディはお前の名前じゃないだろ…?」
ウサギは悲しそうに僕を見る。
違うよ…ちゃんと「私の」って言ってくれた。
アンネちゃんは僕を見た。…―気付いてくれた。
「…。」
ねぇ、どうしてそんな顔をするの…?
僕諦めなくてよかったなぁ…。
僕…幸せだよ。
「…そうか…良かったな…。」
そう言うと、ウサギはやっと微笑んだ。
「これから…どうしたい?」
ウサギは聞いた。僕はもう決めていた。
ウサギに前に聞いた、次の世界に行くのだ。
ウサギに頼んで僕のできる限りのパーツを拾ってもらった。
そしてあの女の人の所へ連れて行ってもらった。
なさけない僕の姿に、女の人は一瞬悲しそうな顔をしたけれど、すぐに微笑んで僕の言葉を聞いてくれた。
僕は次に来る捨てられた仲間達に、僕の部品を使って欲しいと頼んだ。女の人は快く頷いてくれた。
そして、僕の右目はウサギにつけて欲しいと頼んだ。
「僕はもう見ず知らずのやつじゃないだろ?一人の友人として、覚えていてくれよ。」
僕の言葉にウサギは頷いた。
「ああ。たった一人の親友としてな。」
そして僕は全てを捨てた。また新しい世界に生まれ変わるために。
ウサギ達に出会えてよかった。
アンネちゃんに出会えてよかった。
どうか…次の世界でも、アンネちゃんのような子に出会えますように。
ウサギのような親友に出会えますように。
そう、祈りを込めた。
雪が静かに降り積もる寒空の下に、暖かな光を放つ一軒の家がありました。
「ほらニッペ、クリスマスプレゼントだよ。」
幸せそうに笑うお父さんが小さな女の子にかわいらしいテディベアを渡しました。
「わぁ、ありがとうお父さん!」
女の子はそのベアを愛しそうに抱きしめます。
「この子にはね、私の大好きな緑色のリボンをかけるの。もう名前も決めてあるのよ。
よろしくね、私のテディ。」
女の子がそういいながらリボンをかけると、テディベアは一瞬嬉しそうに微笑みました。
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